皆さんの声

聖書100週間に参加して

 佐藤 香織(下井草教会信徒)

聖書100週間」に参加を決めたのは、まだ洗礼を受ける前のことでした。読み終えるのに4年ほどかかるということは大学に通い直すような感じ…正直続けられるかなと不安もありました。学生時代に通読の経験はあるのですが、当時信仰を持たなかった私にとっては聖書のみことばは『文字』でしかなく「分厚い本を読んだ」という事実があるだけでした。受洗前の入門講座でも聖書を読みましたが、みことばをいただき黙想し祈るということはとてもできていませんでした。
 聖書100週間がスタートした時には参加者の中で唯一未受洗だった私もその後洗礼の恵みに与りました。知識も信仰も浅い私を受け入れ、共に聖書を読み進めていく仲間としてくださった皆さんのおかげで毎週の集いは楽しく、現在『ルツ記』を読んでいます。独りで聖書を読んでいるときとはまた違う、みことばを分かち合い共に祈る喜びをいただいています。主がいつも見守ってくださる集いだという幸せを感じています。喜びと感謝を持って100週間を大切に過ごしていきたいと思っています。

  岡野 かおる(鷺沼教会信徒)

若かりし頃、洗礼のお恵みを授かったからにはいつか聖書を読み通してみたい、そんなことを思ったことがありました。が、その望みを叶える為にはかなりの努力が必要であり、読んでも頭に入ってこなくて、そしていつしかそんな望みも抱かなくなり… 。そんな折、大病を機に一念発起。2019年6月スタートのグループに入れて頂き今も聖書の旅の途中におります。本来なら今頃は終了しているのですが、コロナ禍で中断となり、その後は対面ではなくお手紙形式で月3回、皆様の感想にふれ、今年の夏ようやく旧約を終えるところまできました。

共に歩んでくれる仲間がいて、その中心に神さまがいらして、このような時だからこそより一層、聖書100週に参加していてよかったなと感謝の気持ちでいっぱいでおります。コロナ禍で主日ミサに与れない時には日々の生活の指針となり、また、荒れ野にさまよう旧約の民は歴史上の出来事では無くて、今の世の中や自分と重なりました。ミサ聖祭における朗読(特に第一朗読)の言葉や聖歌は、旧約の時代背景や預言者等の知識を得て以前より理解が深まり、今はより積極的にワクワクしながらミサに与るようになりました。秋からは新約に進みます。とても楽しみです。旧約で耕された私の心に新約のイエス様のみ言葉はどのように根付いていくのでしょうか。神さまの喜ばれる道を歩んでいけますように。

山本 めぐみ

20年以上前、私は幼い息子を抱いてミサに参加するたびに聖書に飢え渇いていると感じていました。小教区での黙想講話で私たちは神様から憐れみを受けるために創造されたこと、また詩編の描写のイスラエルの気候や風土の説明に神様の摂理が十全な事に心が揺さぶられたこと今でも覚えています。百週間の学びを知り「ああ、三年半かけて聖書を読み通すなんてすごい事だけれど、今の私には縁がないし、分かち合いも大変そう…一生無理かも」という思いでした。そんな私でしたが2021年6月、碑文谷教会で始まる100週間の学びに参加することができました。御言葉をよく知るようにと神様から時間をかけて呼ばれたように思いました。コロナ禍で始まった100週間ですが、奉仕者の市原さん,11人の仲間と共に1年間聖書を読み進めることがでました。毎回読む範囲の多さに大変だと思いながらも、主日や日毎のミサの朗読箇所の前後の流れも読み知ることでき、御言葉を味わう深まりをいただけたことは嬉しい糧です。分かち合いでは、私にはない気づきも多く学びの喜びが増します。まだ2年半の通読が私の前に置かれていますが、御言葉によってみ心のうちに行われ、救いを顕される神様に聖書の中で出会いながらグループの皆と共に信仰が深められ完読できますように聖霊の助けを主に祈り願います。